
米国特許インターフェアランスの攻防
弁理士 二 宮 正 孝
目 次
1. はじめに
2. 登場人物
3. 出願の経過と発明の要旨
4. インターフェアランス発生
5. 和解交渉始まる
6. 第1の和解案
7. 予備審理手続き
8. 第2の和解案
9. 予備審理の決定下る
10.X社の証拠開示される
11.第3の和解案
12.証拠の提出
13.準備書面の提出
14.最終ヒアリング
15.審決下る
16.費用について
17.米国特許法104条の改正
18.おわりに
1.はじめに
米国が先発明主義という理想を貫くかぎり、先発明者が誰であるかを判定するために、インターフェアランス(抵触審査)という複雑な手続きが必要になります。筆者がインターフェアランスに巻き込まれてから2年4カ月が経過し、このほどようやく事件が決着しましたので、その経過について報告します。
インターフェアランスには、出願中の2つの出願が偶然に同一発明として競合するいわば偶発型のものと、発行された米国特許公報を見た自称先発明者が名乗り出るようにして1年以内に出願し、クレームを同一にして特許権者から特許の奪取を図るいわば攻撃型のものとがあります。筆者が巻き込まれたのは後者のタイプであり、せっかく取得した米国特許が水泡に帰しかねない事態が発生したのです。
2.登場人物
防御側:先願当事者( senior party )
特許権者:日本の機械部品メーカーA社
発明者: A社の副社長B氏
米国代理人1:ワシントンの特許事務所の弁理士C氏
米国代理人2:同事務所のパートナー弁理士D氏
攻撃側:後願当事者( junior party )
出願人:巨大多国籍企業の米国法人X社
発明者:X社の社員Y氏
代理人:X社の社内弁護士Z氏
証言者:X社の社員W氏
3.出願の経過と発明の要旨
1988年8月 A社が日本に出願
1989年8月1日 A社が米国に出願
1990年4月3日 A社の米国特許発行
1990年7月12日 X社が米国に出願
1993年5月 インターフェアランスの開始決定
本件発明の要旨は、内燃機関用の機械部品Fにおいて、部材Sをプラスチックで成形し、金属製部材Rとの間にシールを挿入して連結した、というものです。
4.インターフェアランス発生
93年5月のある朝出勤するとデスクの上はFAXの山です。出願を依頼しているワシントンの事務所のC弁理士から、多国籍企業X社からインターフェアランスの申立があり、その申立が認められたのでインターフェアランスが開始されたこと、インターフェアランスに応答するかどうかは自由だが放置すればほとんどの場合は負けることになって特許権はX社に移り、A社が本発明を現在アメリカで実施していれば実施が不可能になること、等が記載されていました。指定された期限は、主任代理人選任届の提出が93年5月26日まで、予備陳述書の提出が93年8月1日までとなっていました。
直ちにA社に問い合わせたところ、現在米国で実施してはいないが、将来的には有望な特許であるから無効にされては困る。ともかく応答して、途中で和解ができるなら和解する方向でやりたい、とのことであった。そこでC弁理士とその上司であるパートナーのD弁理士を代理人に指定してインターフェアランスに応答することにしました。
5.和解交渉始まる
米国特許庁に主任代理人の選任届を提出したところ、早速X社から和解( agreement )の申し入れがきました。その内容は、「事件の不確実性を考慮し、時間と費用を節約するために、双方の証拠書類を見せあってどちらが優先しているかを判断し、勝者が敗者に対してフリーライセンスを供与する」という一般的な和解案です。
しかし、和解を求めてきた真意がどこにあるのか、手紙の内容だけではわかりません。証拠があるというのは単なるハッタリで、真の狙いはライセンス獲得かもしれません。そこで、C弁理士にX社の弁護士Z氏と電話で交渉してもらったところ、X社の狙いはライセンスではなく、あくまでも特許権の奪取が目的であり、証拠には自信をもっているようだとのことでした。C弁理士は同時にインターフェアランスの担当審判官(P審判官)と和解の可能性があることについて電話で連絡したところ、和解するのなら独立仲裁人( independent arbitrator)を使ってみてはどうか、という打診があったとのことです。しかし、証拠の内容がまだ不明な段階で第三者に和解を委ねるのはA社にとって不利だと判断し、独立仲裁人の利用は見送りました。
6.第1の和解案
A社はX社に対し、確実な証拠があるのならその一部だけでも提示すれば和解に応じる用意がある、と回答しました。すると、X社から発明者が書いたと思われるフリーハンドのメモと和解契約書の案が送られてきました。このメモ書きは部品Fの全体をプラスチックで作ることを示唆しているだけで、先発明の証拠に使えるようなものではなく、材質も日付も何もないという代物です。
しかも、和解契約書を読んで驚きました。それはX社にとって一方的に有利な内容であるだけでなく、C弁理士がP審判官に電話で問い合わせたところそのようなやり方は許可できないと言われたという極端なものです。直ちに受け入れられないと回答したところ、X社からは別の和解案を用意するので特許庁への予備申立書提出期限を延長させて欲しい、との申し入れがきましたが、X社の単なる時間かせぎが目的であると判断して交渉を打ち切り、インターフェアランスへと突入することになりました。
7.予備審理手続き
(1)カウントをめぐる攻防
93年8月12日に予備陳述書( preliminary statement)を提出し、予備審理手続きが開始されました。ここで予備モーション( motion )を申し立てることになります。モーションというのは攻撃防御の手段を提示する手続きであり、先発明を争うクレームをカウント( count ) と呼びます。A社の米国特許には3個のクレームが含まれており、X社は当初クレーム1だけをカウントとしてインターフェアランスを請求しましたが、予備モーションの段階で、クレーム2と3もクレーム1から自明であるからカウントに含めるべきであると主張し、自明であることの証拠として、8件の米国特許と参考資料を提出しました。この手続きは日本における異議申立に類似したものです。
予備モーションに対しては2週間以内に異議申立をすることができるので、A社は答弁書を提出し、クレーム2と3は別発明である、と主張しました。
(2)優先権主張をめぐる攻防
予備審理の段階では、X社はA社の米国出願日よりも前に発明したと言っているだけで、それがA社の優先権主張日より前か後かはわかりません。従って、A社としては発明日を前にもってくるために優先権主張を予備モーションとして申し立てました。日本語から英語への翻訳は、後で証人として出廷する可能性があることを考慮し、ワシントンの翻訳会社の日系人に依頼しました。
ここで大きな問題が発生しました。日本語明細書では部材Rが金属であることを明示していなかったので、米国クレーム中の「金属製部材R」という表現が原文になく後から追加したものであるから、優先権主張は無効であるとX社から攻撃されたのです。A社側は、日本語と英語の対訳式の辞書の写しを提出し、部材Rが金属であることは直接には記載されていないが、従来は全体が金属であったのを本発明では部材Sだけをプラスチックにしたこと、部材Rの端部をかしめて接合していること、部材Rに他の部材が溶接されていること、発明の効果として部品の一部をプラスチックにしたことにより軽量化が達成されたと記載していること等から、当業者であれば部材Rが金属であることは自明であると主張しました。
8.第2の和解案
93年9月、予備審理手続きをしている途中でX社から再び和解の申し入れがきました。前回の和解案がX社にとって一方的に有利なものであったのに対し、今回の和解案は、インターフェアランスは続けるけれども、どちらが勝つかわからないから、勝者は特許権、敗者は実施権を得るということを約束しましょう、というものです。
これに対し、A社の副社長である発明者B氏から「安易な方法を選ぶことは当社の将来にとってためにならない。和解はいつでもできるのだから、今回は見送る。」との回答があり、再び和解を拒否しました。
9.予備審理の決定下る
94年1月21日付けで、P審判官名の決定書が送付されました。決定は次の通りでした。
(1)クレーム2はカウントに含まれる。クレーム3はカウントに含まれない。
(2)A社の優先権主張は認めない。部材Rが金属であったことが証明されていない。
(3)宣誓供述書( affidavits ) や証言録取( depositions )等の証拠の提出期限・反証期限
を次のように指定する。
X社の証拠提出期限 94年3月8日〜15日
A社からの反対尋問の要求期限 94年3月29日
X社に対するA社の反対尋問期限 94年4月19日
A社の証拠提出期限 94年5月3日〜10日
X社からの反対尋問の要求期限 94年5月24日
A社に対するX社の反対尋問期限 94年6月14日
X社の証拠再提出期限 94年6月28日〜7月5日
A社からの再反対尋問の要求期限 94年7月19日
X社に対するA社の再反対尋問期限 94年7月31日
証拠記録の提出期限 94年8月30日
X社の最終審理用準備書面の提出期限 94年9月27日
A社の最終審理用準備書面の提出期限 94年10月25日
X社の弁ぱく書の提出期限 94年11月15日
予備審理におけるこの決定に対し、A社は優先権についての決定を口頭審理で行われる最終ヒアリング( final hearing )まで延期するように申請したので、結論は延期されました。A社にとって厳しい決定でしたが、ともかくX社から提出される証拠を見てから次の対策を考えることにしました。
10.X社の証拠開示される
予備審理が終了したので、X社が出願段階でインターフェアランスを開始させるために審査官に提
出した証拠が開示されました。実質的な証拠は次の4種類です。
(A)製作図面
(B)テストデータ
(C)テストの証人の宣誓供述書
(D)試作品の写真
C弁理士はこれらの証拠を見た結論として、証拠はまだ完全なものではないが、X社が勝利する可能性がかなり高い( quite good )と報告してきました。この結論にはA社として到底納得できるものではありません。証拠には日付が全く付されていない、図面にはクレームの一部の要素が欠落している、テストデータは何についてテストしたのか記載がない、試作品の写真は極めて不鮮明で材質が識別不可能であり撮影日時も不明である、等の点を指摘して、C弁理士の上司であるパートナーのD弁理士あてに手紙を書きました。D弁理士からの返事は次のような否定的なものでした。
(1)これらの証拠はインターフェアランスを開始させるための証拠に過ぎず、まだインターフェアランスには提出されていない。インターフェアランスを開始させるための証拠は一応の証拠( prima facie )に過ぎず、日付が意図的に削除されているのは実務ではむしろ普通である。
(2)証拠が不完全な部分は追加の証拠によって補充されるであろう。証拠の欠陥を追求するには反対尋問( cross examine )を行わなければならない。最終ヒアリングにおいて反論する方法もあるが、成功する可能性は低い。
(3)我々が見たところでは、審判官はすでにX社側のY氏が先に発明したという心証を固めているように思われる。
(4)インターフェアランスをこのまま続行し、反対尋問をワシントンでなくX社の所在地で行うことになれば、その費用は数万ドルにのぼるであろう。
(5)A社がとるべき道は、インターフェアランスを最後まで続行するか、和解によって終了させるかのいずれかである。
どうやらA社は窮地に立たされたようです。起死回生の逆転は可能なのでしょうか。ともかくX社の証拠が完全なものとして出てくるかどうか待つことにしました。
11.第3の和解案
いよいよX社からの証拠の提出開始期限(94年3月8日)が近づいた時に、X社からまたまた和解の申し入れがきました。「証拠を提出して反対尋問をやり始めると、経費(開廷費用・人件費・旅費・滞在費)が無制限に増大するので、反対尋問をやらずにインターフェアランスを続行する方向で部分的な和解をしたい。」というものです。A社としても、米国代理人C氏、D氏の弱気な発言から、反対尋問をしてもあまり多くは期待できそうもない、と考え、部分的な和解に応じることにしました。
和解案について何回も文面を修正し、最終的にA社の米国現地法人の事務所で署名の交換が行われました。和解案の骨子は以下の通りです。
(A)反対尋問を要求する場合はその費用は当面各自が負担するが、インターフェアランス終了時に、敗者は勝者に対しその費用全額を弁償する。
(B)特許庁での決定を最終のものとし、再審理・再審問・提訴はしない。
和解契約書は3部作成され、1部は審判官に提出されましたが、特許庁に対し秘密を保持するよう申請したので、通常の閲覧ではその内容は閲覧できないことになりました。
12.証拠の提出
(1)X社の証拠提出
和解契約書作成のために証拠提出期限は1カ月ずつ延長されました。和解が部分的なものに止まったので、再び特許庁での攻防が始まります。反対尋問をやらずに書面による証拠だけで勝敗を争うので、X社が完全な書面証拠を提出してくればA社は負けてしまいます。証拠の重大な欠陥を探すことが必要です。その穴はさがせば見つかるものです。
X社が提出した先発明の証拠はインターフェアランスを開始させるために提出したものとほとんど同じで、日付が付いただけです。しかし、この日付に重大な落し穴があったのです。
第1に、製作図面の日付は89年6月7日であるのに、テストした日付は89年5月10日となっており、製作図面が完成しないうちにテストしたことになります。一体何についてテストしたのでしょうか。
第2に、テストした日付からX社の米国出願日まで14カ月、完成図面らしきものが作成された日付から米国出願日まで13カ月あります。この間に発明の実施化のための努力を継続していたという証拠は何もありません。ラボノートや業務日誌は提出されていないのです。この空白の期間は、継続的勤勉さを欠落させるのみならず、発明を放棄・抑圧・隠匿していたのではないか、という疑惑を生じさせるものです。
第3に、どの図面にもクレームの一部の要素が欠落しているのです。
第4に、試作品をテストしたという証人の証言が曖昧なことです。3年前のことを証言させられるのですから、証人も大変です。宣誓供述書の最初に「テストしたものが発明者Y氏が言っているものと同じかどうか明言することはできない(unable to positively state)」という正直な陳述があります。
しかし、反対尋問を行わないので、A社がこれらの反論を主張できるのは最終ヒアリングの場だけしか残されていないのです。
(2)A社の証拠提出
A社から提出した証拠は、優先権証明書、訳文、翻訳者の宣誓供述書、原文と訳文との用語の対応を示すための辞書の写し、等です。優先権主張を認めさせるための新たな証拠として辞書の写しを多数提出しました。
結局、反対尋問は行われることなく証拠提出期限が終了し、両者から証拠をまとめた記録( record )が提出されました。
13.準備書面の提出
(1)X社からの準備書面( brief )
94年10月に、X社から最終ヒアリングのための準備書面が提出されましたが、わずか6頁という簡単なもので、4件の判例を引用してX社の証拠が明白で確信的( clear and convincing )なものであると主張しています。論点は次の3項目です。
A.Y氏はA社の米国出願日よりも前に発明を着想( conception )していた
B.Y氏はA社の米国出願日よりも前に発明を実施( reduction to practice )していた
C.A社が優先権主張する日本出願はカウントを支持していない
(2)A社からの準備書面
A社が勝つためには、最終ヒアリングでの一発逆転をねらうしかありません。C弁理士が作成した準備書面は、判例21件を駆使し、31頁にわたって、X社側の証拠の欠陥を次々と攻め立てるという見事な出来映えです。論点は次の3項目です。
A.Y氏は発明を実施していなかった
B.Y氏は発明を放棄・抑圧・隠匿していた
C.A社の日本出願に基づく優先権は認められるべきである
(3)X社からの弁ぱく書
A社からの準備書面に対し、X社には弁ぱく書を提出して反論する機会が与えられていましたが、なぜかX社は弁ぱく書を提出しませんでした。
14.最終ヒアリング
95年6月20日、米国特許庁で双方から代理人が出席して、最終ヒアリングが行われました。3人の審判官がパネル(合議体)を構成し、各代理人が準備書面に沿って意見を述べて審判官が質問するという形式で進行しました。C弁理士は、審判官がこちらの説明に納得したような態度から判断してうまくいったようだ、X社側の説明に対して審判官が高級な( intelligent ) 質問をあびせていたのには驚いた、と報告してきました。
15.審決下る
95年9月21日に審決が下されました。3人の審判官のうち2人はX社の先発明の証拠が不充分だと認定し、他の1人はA社の優先権主張は認められると認定しました。結論として、3対0でB氏が先発明者であると認定されたのです。審決書は判例27件を引用した19頁に及ぶ丁寧なもので、審決理由は次の通りです。
A.多数意見(P審判官・L審判官)
(1)図面に記載されている日付は証人によって確証( corroborate ) されなければならない。判例によれば、女性秘書が当日その図面を見たという証言が認められている。確証がない以上、図面の日付に着想がなされたとは認められない。
(2)本発明は内燃機関の部品に関するものであるから、テストする場合には、内燃機関に機能的にセッティングし、高温と振動に耐える状態でデモンストレーションを行う必要があった。
(3)テストに使用された部品がいかなるものであったのか不明である。証言は曖昧であり、クレームの全ての要素が備えられていたという立証がなされていない。
(4)Y氏は発明を着想も実施もしていなかったのであるから、発明を放棄・抑圧・隠匿したという事実はない。
(5)優先権については判断を要しない。
B.少数意見(S審判官)
(1)日本語明細書には従来技術として全体が金属であるものが図示され、発明の効果として、金属の一部をプラスチックに置き換えることで軽量化を達成したと記載されている。さらに、部材Rと部材Sとの連結方法、シール方法、形状、構造等から判断すれば、本発明の部材Rが金属以外で作られているとは到底考えられないから、優先権の主張は認められる。
(2)Y氏の先発明の証拠は全てA社の日本出願よりも後の日付であるから、B氏が先発明者である。
本来であればこの審決に対してX社は、1カ月以内に再口頭審理( rehearing )を求めるか、2カ月以内にCAFC(連邦巡回控訴裁判所)に提訴するか、地方裁判所に提訴するか、いずれかの方法で不服を申し立てることが可能ですが、本件では両社間の和解契約によって、特許庁での決定を最終的なものとし不服は申し立てないことで合意しているので、これ以上継続することはなくなりました。A社の特許権は守られたのです。
16.費用について
本件の場合は反対尋問手続きを省略した結果、A社が米国代理人に支払った費用は4万ドル以下でした。これには、優先権証明書の翻訳費用、関連する米国特許や判例の調査費用など全てが含まれています。反対尋問をやれば費用は2倍以上にふくらんだものと予想されます。
17.米国特許法104条の改正
本件において、A社が先発明の証拠として提出できたのは優先権証明書だけであって、日本国内での発明行為についての証拠を提出することは許されませんでした。ところが、これを阻んでいた米国特許法104条が改正され、1996年1月1日以降は、WTO加盟国である日本の国内における発明行為についても、証拠を提出して先発明を主張することが可能になりました。
しかしながら、上述したように先発明を立証することは容易ではありませんし、防御側にとってもかなりの出費を強いられます。さらに、米国以外の国における発明行為に対する反対尋問はどこでどうやって実施するのか実務上の問題が残ります。日本の発明者と証人は米国大使館かあるいは米国特許庁まで出張して反対尋問を受ける覚悟が必要です。米国特許法104条の改正によって、インターフェアランス手続きはさらに混迷の度合いを深めていくものと予想されます。
18.おわりに
インターフェアランスの条文が改正されたとしても日本の発明者にとって直ちに有利になるとは考えられません。今後はヨーロッパの国が先発明を主張して日本の発明者に攻撃を仕掛けてくることも予想されるからです。ラボノートを提出すれば、全頁について翻訳と確証が要求されるでしょうし、ノウハウを公衆の面前にさらすことになります。
今後の対策としては、結局のところ、発明の着想が完成したならば実験と並行しながら一日も早く出願すること、米国に関しては優先権の期限である一年を待つことなく一日も早く出願すること、仮出願の制度を利用したりPCTを利用したりして早い出願日を確保すること、等が今後の戦略として検討されるべきものと思います。
参考文献
アメリカ特許制度の解説(発明協会)1988年発行
追補 本件米国出願の基礎となった日本出願は、実公平7−49011号として公告され、異議申立もなく、実用新案登録第2142623号として登録されている。
御質問がありましたら
FAX: 03-3639-5619 あるいは下記までお知らせください
URL: http://www.ninopat.com/
E-Mail: ninopat@ma2.justnet.ne.jp
著作者 弁理士 二宮 正孝 1997-06-28
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